波の荒い人生とこれから

死ぬまでに今までの人生の生きた記憶を遺す

ネカフェ難民

今思えば

ネットカフェはなかなか便利である。


パソコンでネットもWi-Fiも使い放題


飲み物も無料


携帯が止まった僕はそこから

次の就職先をさがした。


当時、まだ若かったので

引く手あまただったのだろう


すぐ見つかり働くことになった


しかもそこはアパートの一室を貸してくれるらしい!


なんて素晴らしい!


そこでKという先輩に出会う。


これがまた波乱の始まりとは知らずに。。

乞食街道まっしぐら

高校を中退し、

日払いのバイトをはじめた。


下宿も出て 

会社の寮に入った


いわゆる飯場だ。


食事にもありつけるし

日銭ももらえるし

最高の環境だったが

免許取得を機にやめた。


それでも2年くらいつとめただろうか


そのあとmixiを便りに

上京し社員雇用の就職先をさがした。


少し鳶職をかじったので

鳶の会社に面接してもらったのだが

その会社が超絶ブラック。。


給料は平気で遅れるわ

寮は即入寮可能と宣うわりには

入れず

社長に金をもらいカプセルサウナやネカフェに泊まった。


しまいには

その金すらもったいないのか

一台ワンボックス車を与えられそれに寝泊まりさせられるようなった。


2ヶ月くらいして携帯が止まったうえに

仕事もないので

車放り投げて

夜逃げしてやった


~東京漂流生活~

17歳の地図

そんなこんなで偏差値50前後の普通科に通うことになった。


私自身も、

この頃は本当にやる気がなく

学校にもよく遅れたし、サボり気味になっていた。


やることと言えば

当時流行ったスター○ーチで他校の女との出会いを探していた


なぜ

自分の通う学校で見つけなかったか?


ほほ男子校だからだ。


当時はとことん自分の人生を恨んでいた。


そうしてるうちに

ひとりの女の子と知り合い付き合うようになり

頻繁に遊びにいき

学校も行かず下宿にも帰らず

その子の家に泊まるようになっていた


そんなんやタバコ、酒が同時にばれて

高校を退学になった。


俺はやっと自由になれると清々しかったのを覚えている。


髪をブリーチし、ピアスも大量に開けだしたのもこの頃だ。


当時、池袋ウエストゲートパークという映画化が流行ったため

窪塚洋介演じるキングや

その他ギャングに憧れていた

まさに中二病全盛期。


たいして喧嘩も強くないのに

あちこちで意気がって痛いめにあったりしたのもこの時期(笑)